植木鉢に水をあげる
成程、やはり書くこと記すことの意味は大きい。精神が落ち着いてきたように思う。
昔、「堅苦しい話し方をするね」と言われたことがある。なぜこのようになってしまったのであろうか。
もし、もっと滑らかに柔らかい表現が出来ていれば、生き方も変わったのだろうが、こればかりは仕方がない。頭の中でそのように言葉が置き換えられてしまうのである。不可抗力だ。罪はない。
しかしながら、日常生活ではやはり困る。うまく丸みのある言葉で話そうとしても、言葉が出てこない。その一瞬のタイムラグがコミュニケーションに支障をきたしてしまう。
どうすればよいのか。このWEBの世界で少しでも練習をして、活かせればと思う。
が、おそらく治らないだろう。どこかに違和感が残るし、それで治るのであれば、30歳の中年になって、このようにタイピングなどしないだろう。
植木鉢に種を植え、気長に水を与え続ける気持ちで、楽しんでいければと思う。