電源をオフにした
最近、朝が寒い。
いつもは起きると同時に窓を開けて、新鮮なきれいな空気を部屋に入れるのだが、今日はそれをする気にならない。
冬である。北海道とか東北、いやそれこそ北欧、ロシアなどはもっと寒いだろう。
彼ら彼女らは朝、どのような感じなのだろう。
「タスク、おはよう。いや、グッドモーニング。ロシア語ではおはようは何ていうのかな?」
「・・・・。おはよう。」
タスクはまだ眠そうだ。寝ぼけえているのかな。いや、おはようと言ったから起きているし、聞こえているのだろう。
「いろいろ面倒なんだけれども、どうすればいい?」
「私は眠いの。話しかけないでくれる?」
タスクはツンデレだ。不機嫌なところもかわいい。寝顔を見れているだけで幸せだ。
サカキも朝が弱い。朝は時間がないし、慌ただしいことが多い。
「もうだめだ」
サカキは一言つぶやくと、タイピングを辞め、電源をオフにした。
ピザを頼もう!
妄想が止まらない。何だこれは。楽しい、楽しいぞ!
思えば国語の成績はいつも悪かった。文章の書いている内容が理解できないのである。
それは今でも変わらない。特に、人の会話を理解することが本当に苦手だ。相手の話していることの3割を理解できていればいい方だ。タチが悪いのが、普段無口で落ち着いていると思われるため、話が理解出来ていないと、「あれ?真剣に聞いているように見えたけれど、わかっていない?」となることである。
しかし、これはすごい。もっと早く気が付けば良かった!何なんだこれは!
まるで、原始人が初めて火を見つけた時のような喜びだ。これはすごい。絶対に他の人に言えない。いや、日常生活では言葉として声には出せないので絶対に理解されないはずだ。
今まで脳が凝り固まっていたのが、嘘のように復活するのがわかる。脳の血管が動き出したのだ!私の30年は何だったというのか!
ありがとう!謝謝!
これなら続けられるかもしれない。いやわからない。明日なるのが怖い。しかしこの手ごたえは何だろう。魂の中から何かが目覚めた。ピザだ、ピザを頼もう!
しかし、なぜうれしい事があると、ピザを頼むのであろうか。今でもピザを頼み、笑顔溢れる子供と母親の姿が目に浮かぶ。ピザを持ってくるデリバリーのあんちゃんもである。
少し、落ち着こう。大丈夫。ここ2016年12月1日22時50分、大きくトレンドが変わることを信じて、このタイピングを大切な趣味として暖かく包み込みたい。
「人と上手く話せないんだけど、タスクはどう思う?」
「人と上手く話せないんだけど、タスクはどう思う?」
「どう思うって、そのうち慣れるんじゃないの?」
タスクはいつも冷たい。しかし、サカキはそんなタスクが可愛らしいと思った。
「それに、あなたは笑顔が少ないのよ。もっと笑いなさい。笑顔でいれば、そのうち良いこともあるから。まずは自信を持つこと。それが大切よ。」
家に帰ると、サカキはさっそく鏡の前でスマイルの練習をした。普段使っていない筋肉を使うととても疲れる。しかしこれは修行である。努力はきっと裏切らない。少しでもいい。現実社会で心地よく過ごせればそれでいいのだ。信じる者は救われる。
タスクは無宗教で、怪しい勧誘にははまらない様にしていた。いや、正確に言えば、一度はまってしまったら、二度と戻れなくなるのではないかという恐れがあったのだ。
ただ、今回に関しては別である。
「努力はきっと裏切らない。」
サカキはもう一度つぶやいた。
鏡の前の男は、もうかつての軟弱な輩には見えなかった。
サカキは体の中から湧き上がる熱を感じながら、やるぞと思った。
「年金はどうなると思う?」
「年金はどうなると思う?」
「どうなると言われても、とても大切なことだし、末永く続くことを願うよ」
「あなたは不安にならないの?」
「不安さ。でも、不安だ不安だと言ったところで、どうにもならないだろ。それに俺ら、まだ30だぜ?そんな先のことなどわからないよ。」
「確かにそうね。でも、私は不安よ。この先何があるかわからないし、体を壊して働けなくなってしまうかも知れない。備えなれば憂いなし、よね」
成程、一理なるな。といったところで、サカキはどうすればいいのか分からなかった。
しかし、タスクの意見はもっともだ。よし、ここらでもう一度、やり直してみるか。
サカキはまるで栄養ドリンクを飲み干したの如く、やる気に満ち溢れたのだった。こんなことは久しくなかった。奇跡といっても過言ではない。このビックウェーブに乗らなければ、先はない。千歳一隅のチャンスかもしれない。
ありがとう、タスク。謝謝タスク。
ふと空を見上げると、無数の星が煌びやかに舞っていた。
自分もタスクの一番星になれるだろうか、と考えながらサカキは歩き出した。
植木鉢に水をあげる
成程、やはり書くこと記すことの意味は大きい。精神が落ち着いてきたように思う。
昔、「堅苦しい話し方をするね」と言われたことがある。なぜこのようになってしまったのであろうか。
もし、もっと滑らかに柔らかい表現が出来ていれば、生き方も変わったのだろうが、こればかりは仕方がない。頭の中でそのように言葉が置き換えられてしまうのである。不可抗力だ。罪はない。
しかしながら、日常生活ではやはり困る。うまく丸みのある言葉で話そうとしても、言葉が出てこない。その一瞬のタイムラグがコミュニケーションに支障をきたしてしまう。
どうすればよいのか。このWEBの世界で少しでも練習をして、活かせればと思う。
が、おそらく治らないだろう。どこかに違和感が残るし、それで治るのであれば、30歳の中年になって、このようにタイピングなどしないだろう。
植木鉢に種を植え、気長に水を与え続ける気持ちで、楽しんでいければと思う。
中国語を使う仕事でなくて良かった
WEBの世界は明らかにセーフティーネットだと思う。
現実社会でうまくいかなかったり、失敗してしまったりしたときの逃避にもなるし、練習にもなる。まさに救いだ。救われよう。
この世界を作った人は本当に偉大だと思う。私はこの現代に生まれて良かった仮に50年前、いや30年前であったら、どこに救いを求めることになるのだろう。それを考えるだけでも恐ろしいし、考えたくもない。
この恵まれた現代に感謝をしたい。「謝謝」。
そういえば、高校の頃から第2外国語で中国語を習ったにもかかわらず、全く身についていないことに気が付いた。もし仕事で中国語を使うこととなったら、本当に恐ろしい考えたくもないし、考えるのを止めよう。
思えば、高校の中国語の授業では、リスニングの問題で苦戦したように記憶している。全てがどこかで聞いたことがあるような、不思議なイントネーションだった。
もしも願いが叶うなら、もう一度あの授業を受けてみたい。あくまで学生のままで。
おっさんと言わないように気を付ける
ここに、記念すべきブログの第一歩を記す。
この先どうなるのかは全くわからない。3日で終わるのか、5か月持つのか、想像が出来ない。あくまで、頭の中を整理する、一種のリハビリのような形で書き記す。
紙だとすぐになくしてしまうし、後になって振り返るときに面倒なことになるのは避けたい。今になって思えば、高校生やら大学生の時に、赤羽のマクドナルドや、東十条のサンマルクカフェで空想妄想に浸っていたときの日記のようなものがあれば、何かしらの役に立っていたかも知れない。
それを思うと、このように、WEBの中にストックとして残すことは多少の意味はあると思う。
30歳になったおっさんである。
しかし、先日、カフェで「自分のことをおっさんと呼ぶこと自体が老いへの始まりだよね」と男女の会話が聞こえてきた。なるほど、そういう考えもあるのかと関心もした。
したがって、上記の発言は早くも撤回したいと思う。
いずれにせよ、少しでもこのタイピングが、自分にとってプラスになることを願って、WEBの中にしばし入り込みたいと思う。